シュタインズ・ゲートってアニメが好きでそのアニメで覚えたんだけど、
シュレティンガーの猫っていう量子力学の実験の考え方がなにかに悩んだときに結構参考になる気がする。
~シュレティンガーの猫~
シュレーディンガーは,箱の中で放射性原子(→放射性同位元素)が自然崩壊すると毒ガスが発生し,中にいるネコが死ぬという仕組みの装置を考えた。原子がいつ崩壊するかは量子力学的プロセスなので一定ではなく,ネコがいつ死ぬかも一定ではない。人間がネコを観測するまで波の収縮が起こらないとすれば,観測前は生きているネコと死んだネコが共存することになり,奇妙だとシュレーディンガーは指摘した。コペンハーゲン解釈の支持者の多くは,原子の崩壊を装置が検出した段階で波の収縮が起こると考えるが,それは厳密には証明されていない。
まーきちんと自分がこの考えを理解しているか分からないけど、簡単に言えば、
「ある出来事はその出来事を事実として観測するまでは確定しない」=
起きてるか起きていないかそれを認識していないから結局のところは実際に見てみるまで分からない。ということ。
シュレティンガーの猫の実験であれば「猫が死んでいる状態」と「猫が生きている状態」は同時に存在している状態。
要するに、なんでも自分の目で見てみるまでは分からない。もしかしたらそうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。って感じかね。
これって人間相手にも同じこと言えるかなと思っており、結局猫は死んでいるのか、生きているのかと自分の中でああだこうだと考えても
結局見てみるまでは本当のことは分からない。
要するに相手の気持ちやら本音も聞いてみないと分からない。
自分の中で考えて結論だしてもそれは相手のことを理解したということにはならない。もちろん、理解をしなくていいのであれば、自分の中で結論付ければそれでいい。
もう離れてしまった相手のことを考えるときは、自分の中で考えて消化しても良いと思う。
ただね、結構恋愛とかでも、相手の気持ちになってみてウンウン唸ってこうじゃ!と思っていざ相手と話してみると自分が思っていた気持ちと全然違うことって多々あって。
そうだったのか!となったり、相手のこときちんと見てなかったな、となったり。だから、相手がいるときは、ちゃんとその相手と向き合わなければならない。
自分の中で想像するのではなく、事実を見なくてはならない。
見なくても自分がそれでいいなら見る必要はないけど、正しく理解したいなら、事実をしっかり自分の目で観測しなくてはならない。
ひとりで考えていても、箱の中の猫が生きているか死んでいるのかなんて分からないから。
人の気持ちは実験と違って調整したり、自分でどうにかこうにかできたるできるものではないしその時置かれている環境でも変わってくるとは思う。
だから、きちんと向き合えるときに向き合っておかなきゃ。
ま、理想はいくらでも語れるんだけど。明日後悔をしないように・・・ね!
こんなこといって、一番クヨクヨ悩んでいるのは自分自身なのでした。今日もいつものように、自分に言い聞かせております。